うつ病を認められない自分
休職を始めて数日間、1歩も家から出なかったと思います。自分自身で心の整理ができなかったんです。 この頃は私自身がうつ病に対して「弱者がなるなまけ病」みたいな認識でいたので、 「負け組になってしまった」というショックで家から出ることができませんでした。
毎日、窓から見える高尾山をぼんやり眺めながら日々が過ぎていく、そんな感じでした。 休職してからドーンと心が落ち込んだのが分かりました。何にもやる気がしない、 なぜ私だけ、どうしてこんなことになったのか、いったい原因はなんだ、どうすれば元に戻れるのか、 特効薬はないのか、など様々なことを考えていました。しかし、結局どれも答えが出ず、考えても考えても、どの問いにも答えが出ないんです。 つらかったです。今までそんなことはなかったですから。
他人から見れば私は優等生の部類に入っていました。私が中学生の頃は公立の中学校から高校受験して公立の高等学校に進学、 そして大学受験して大学に進むのが一般的でした。しかし私は将来の受験勉強を見据え、受験勉強なんてしないに越したことはないと考え、 高校受験は私立の付属高校に絞りました。中学校の通信簿はほぼオール5。周りのみんなは、 私は学区内の一番難しい公立高校を受験すると思っていたみたいですが、私は早稲田大学の付属高校を受験しました。 卒業間近に私が来春から早稲田の付属に行くと告白したところ、大騒ぎになったことを覚えています。
大学では理工学部に進みました。就職は学校推薦でほぼ全員が内定をもらえます。 しかし私はあえて学校推薦をもらわずに自分で就職先を探しました。 大半の人がメーカーや重工業に就職する中、私はIT関連企業へ就職が決まりました。 ちょうどWindows95が出た頃です。今まで大学ではツナギを着て油まみれになって卒論の研究をしてたのに、 4月からパリッとしたスーツ姿で社会人になったんです。このギャップは私には楽しくて仕方がありませんでした。
会社では製造業向けのIT関連サービスの部署に配属になり、大学で学んでいたことが意外なところで役に立ちました。 小さな町工場のようなところから、大手電機メーカーや自動車メーカーに技術的なコンサルティングやサポートをする日々。充実していました。
いつの間にか私は、私1人がひとつの商品を任されることになりました。 会社の中で私しかこの商品を熱く語れる者がいない。そういう意味では私はすごく充実した日々を送っていました。 1つの会社に大量に売れるような商品ではなかったのですが、市場のニーズはそこそこあったんです。 そういう責任のある仕事を任せてくれる環境があり、頑張った分だけ跳ね返ってくる仕事に、とても満足をしていました。
そんな最中に私を襲った「うつ病」。順調だった人生生活に襲い掛かった「うつ病」。 本当にどうしていいかわかりませんでした。毎日朝から晩まで高尾山を眺め、ふと気づくと息子が私のあぐらのところに座っていて、 眠ってしまうこともありました。夕方に買い物に出て帰ってきた妻が電気もつけないで高尾山を見ている私に 「暗い!」と一喝することもありました。でもどうすることもできなかったんです。本当に、方法がわからなかったんです。
まだ自殺願望はありませんでした。ただただ、どうすればいいかわからない。絶望感。喪失感。孤独感。 何かをやる気もおきませんでした。たまにパソコンで思いついたときに「うつ病」というキーワードをグーグルで検索するくらいです。
そして考えがめぐり、「うつ病の原因が分からないって言うのは、他人に原因があるのではなくて、 自分に原因があるのではないだろうか?」という考えに行き着くようになりました。自分の心が弱い、 自分の精神鍛錬が足りない、自分の心の中に悪い何かが潜んでいる、そういう風に考えるようになったんです。
怒りと言うか、最終的な考えの結論が自分に向くようになってしまったんです。
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2010年11月15日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |



