うつ病による壮絶な登山

「永遠の仔」に感化され山登りを決意しました。

そしてまずは目の前にある高尾山を登ってみようと決意しました。

低い山です。標高は599メートル。今まで登山なんてしたことがなかったので、甘く見てました。 休職する前から写真が好きだったので、一眼レフカメラを片手にたいした装備もなく、 ホントにハイキング感覚で登っていきました。何も分からないので1号路。ずっと舗装がされていて登りやすい道のりだったのですが、 正直、きつかったです。登山とはこれほど体力を使うものなのかと。

登る前は、「あの高尾山の向こうには何があるんだろう」と期待を胸に膨らませて登っていきました。 ようやく頂上について、あったのは売店とベンチ。こんなもんか。というちょっと期待はずれの頂上でした。 この時は富士山は見えませんでしたが、大室山など、裏丹沢の山々ははっきりと見えました。 「あの山の向こうにはきっと何かがあるんだ」という期待が膨らみました。

こうして、私の壮絶な登山が始まりました。


「うつ病なのに山に登るの?」と思われる方が多数だと思います。 しかし当時の私はすっかり「永遠の仔」に感化されており、「山の向こうには救いがある」と思い込んでしまっていたんです。

この「行動力のあるうつ病」に、当時の主治医は頭を抱えていました。

この時は高尾山から紅葉平を過ぎて相模湖に下りたのですが、途中、転びました。 普通のスニーカーではだめなのかな、と思いました。あと右手にカメラ、左手にペットボトルと、 両手がふさがっている状態では非常に危険だなと感じました。まずは、最低限、登山靴と飲み物が入るザックを買おうと思いました。

幸い、八王子の駅を出てすぐのところにムラサキスポーツがあり、ここで登山靴とザックを買いました。 カメラもウエストバッグになっているカメラケースを買い、両手が空く様にしました。とりあえず、これで最低限の装備は整いました。

あと登山ソフト「カシミール」を購入しました。これをみて登山道を事前にチェックして標高差や総歩行距離なども計算しました。 おおよその時間も算出されるため、行き帰りの時間もおおよそ検討がつきました。

高尾山は制覇しました。じゃぁ次は小仏城山だ、と隣の山に向かいました。このあたりの山々は私の家からだと高尾山から続くので、 まずは高尾山に登る必要があります。高尾山は6つの登山コースがありますが、当然、すべて制覇しました。 一番のお気に入りは「稲荷山コース」です。私は誰もいない登山道が好きだったので、かなり早朝に登山道に入りました。 稲荷山コースの途中にある休憩所では野生のリスを見ることができました。 こういう経験をすると、少しでも残された自然というのはとても貴重で、今後も残さないといけないんだな、という思いになります。

登ってみた小仏城山も、案の定というか頂上には売店とベンチだけでした。 じゃぁ、明日は景信山、その次は陣場山、と次々と隣の山を制覇していきました。そして陣場山から続く山々も次々と登っていきました。

当時、うつ病の薬を飲んでいた関係で、医者から車の運転は禁止されていたので、私の移動の足はマウンテンバイクです。 当時はGIANTのAC-2というマウンテンバイクに乗っていました。 陣場山の登山道まで行くには、和田峠までマウンテンバイクで登りました。 しかしこの和田峠までの道のりは私が登るのを拒否するかのごとくきつくつらい坂道でした。 最初はマウンテンバイクに乗ったままでは登りきることができず、降りてマウンテンバイクを押して登りました。 何度かチャレンジするうちに登れるようになれたんです。そして陣場山近辺の山々への登山が始まりました。

この近辺はすべての山が登山道でつながってます。生籐山、三国山、手当たりしだいに登りました。 もうこの頃はマウンテンバイクでの和田峠は普通に登りきることができるようになっており、 和田峠にマウンテンバイクを置いて近辺の山々を歩く、というのが当たり前になっていました。 そして訪れた1000メートルの壁。茅丸という山です。景色はあまり良くなかったですが、かなりの満足感、達成感がありました。 この頃は妻の義父からもらったマナスルのコンロでお湯を沸かしてコーヒーを飲む、というのが山頂での1つの楽しみとなっていて、 今では時代遅れのマナスルコンロの音と自然の風、インスタントですが、ほろ苦いコーヒーが、私にとってものすごく精神的にさわやかなひとときでした。

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