家族との決別
妻と息子とは別居生活を続けていたのは前述の通りなのですが、この不自然な生活を長く続ける気は無かったんです。
妻にトラウマがあり、その原因が私にあるのは分かってます。 しかし夫婦として同じ戸籍に入っている以上、私は家族と一緒に暮らしたかったんです。
会社から入る給料は妻が管理していました。私は毎月小遣いをもらうだけ。 これがだんだんと働いたお金をむしり取られてしまっている、と感じるようになってしまったんです。
あるときふと考えたのですが、私の復職を喜んだのは両親だけでした。 妻からは何の連絡もなかったんです。ちょっとだけ期待してました。 「復職おめでとう」みたいなメールを。でも何の連絡もありませんでした。 私の存在があまりにも怖くてメールを送ることさえできないのか、 ただ単にそういう祝福の言葉を出すという習慣がないのか、これまた色々考えました。
妻は不定期ですが私の会社に来て産業医と面談をしていたんです。 産業医はその妻との面談内容は「全て」私にフィードバックするという約束だったんです。 しかし、妻と電話で話をしたときに私の知らないことがたくさん出てきたことがありました。
その時、復職して4ヶ月間、何も無かった方が不思議だったのかもしれませんが、私の怒りが爆発しました。 まず会社の「健康管理室のあり方」について問いました。あと約束だった「全部フィードバック」がなされていなかったこと。
健康管理室の保健師の方にメールで質問を出しましたが、ラチがあかないので、 分かりやすい2択の質問状を書いて渡しました。産業医面談前日に渡してそこそこの答えが返ってくるのかと思ったのですが、 何1つ私の納得するような回答は得られませんでした。
産業医面談の時には産業医に質問状を渡しました。産業医はプロなので質問の1つ1つに丁寧に答えていただきました。 私が納得いかない部分もありましたが、もう疲れてきたのでやめました。
この時の私の怒りは相当ひどかったので、主治医も薬の調整をしたんです。 薬が変わるとまず副作用がでるので体力的にすごくきつく、何度か薬を調整されました。
と、言うようなやはりちょっとしたことで私の感情が変わったり、薬で体調が激変する中で、 仮に別居生活が終わり一緒に住めるようになっても、こういう怒りが現れるとまた妻にトラウマが残ってしまう、と考えました。 妻のトラウマの特効薬は身の安全の確保と聞いていたので、離婚を決意しました。その旨を妻にも伝えました。
しかしその後もズルズルと別居生活を続けていたのですが、10月ごろに妻に今後の3人の生活について4問の質問を送りました。 その結果、妻が選んだのは私が実家を出て1人暮らしをする、という選択肢でした。 この文章をどのようにとられられるかは分からないのですが、私はもはや同じ戸籍に入っている意味すらないので離婚しよう、 とメールを出しました。
さらに、私の給料では妻と息子が住んでいるマンションと私が1人暮らしをするマンションの家賃を支払っていくことは少々厳しいので、 妻に働きに出てくれ、と伝えました。しかし、どういう就職活動をしているのかは知りませんが、 現段階でも仕事は見つかってません。ですので私も実家に留まっています。
家族に会えなくなるのは私もとても寂しいです。まして息子は私と散歩をするのが大好きで「またお散歩しようね」などと言っていました。 息子はかけがえの無い存在です。息子のためなら何でもします。しかし私の「闘病生活」が終わりうつ病が完治するまでは危険だなと思ったんです。
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2010年11月15日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |



