妻が出した結論
復職して7ヶ月ほど経った頃だと思います。私は相変わらず実家から会社に通い、妻と子供は八王子に2人きりで住んでいました。 そんな状態が自然なこととは誰しもが思っていなかったのですが、妻のトラウマが治らない限り私が八王子に戻ることはできなかったのです。
私自身、実家で長く世話になるつもりはありませんでした。第一私の父親はすでに定年して年金で暮らしています。 一応、妻は私の両親向けに私の生活費という名目でお金を出していましたが、私の両親は受け取っていませんでした。
私の実家はJR線から私鉄に乗り換え、さらに最寄り駅からは自動車でないと通えない距離にありました。 さらに、会社から最寄り駅までは1時間30分強の時間がかかり、仮に19時半まで仕事をしてしまうと家に着くのは10時近くなってしまうのです。
私が社会人になって一人暮らしを始めて、両親だけの生活が始まってから、両親は毎日9時ごろには寝てしまう生活でした。 それが私が身を寄せることで生活リズムが狂ってしまっていたのです。これは私にとって大きな負担でした。
そんな時のことです。主治医がある提案をしてくれました。 「奥様との別居生活は、奥様の気持ちの整理がつくまで続くことが予想される。 実家でのストレスが大きいのであれば、あなたが1人暮らしを始めるのはどうですか?」というものでした。 しかし、当時の私の給料での2重生活は無理でした。そこで私は妻に対して4つの選択肢を提示しました。
①.年明けから八王子の家に私が住む(妻と息子は妻の実家に引越し)
②.年度末から八王子の家に私が住む(妻と息子は妻の実家に引越し)
③.私がどこかで1人暮らし(妻と息子は八王子の家で今まで通り)
④.妻と息子が2人暮らしを始める(私が八王子の家に住む)
妻が選んだ選択肢は③でした。
この選択肢をどう考えるかは人それぞれ難しいですが、私は離婚を考え始めました。 妻にとって息子はもちろん大切な存在です。しかしそこに私がいなくてもいいのだな、私の必要性はなくなったんだな、と私はその時思いました。 この時の私を冷静に見てみれば、養育費や住居費、食費、生活費などのお金を出してあげているだけで、事実上の離婚しているのと同じだなと思いました。
この時はさすがにカッターに手が伸びました。が、寸前のところでやめました。 以前であればそのままザックリといっていたと思うのですが、その時は「人生の第2ステージが始まったんだ」と考えを変えることができたんです。 これこそがうつ病の治癒の第1歩だったのかもしれません。
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2010年11月15日 | コメント/トラックバック(0) | トラックバックURL |



